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春宵 [雑文]

 少し前であれば、もうとっぷりと日の暮れている時間に、家路を急いだ。秋の日はつるべ落としと言うけれど、春の宵は夜が少しずつにじむように暗くなり始める。いつ日が落ちたのか、と気がつくのは、だいぶ暗くなってからだ。
 街灯もない狭い路地を左に折れる。
 両脇に高い板塀の続く道はまっすぐで、突き当りの丁字路に石敢當が見える。
 丁字路を左へ数歩入ったところで、背後が薄ぼんやりと明るい気がして立ち止まった。振り返ると、後ろへ続くまっすぐな道が高い板塀の上に灯された、いくつものぼんぼりに照らされているのだった。
 ぼんぼりは鈴なりに、振り向いた路地の奥まで連なり、細い道を両脇から淡く白く照らしている。そちらも突き当りが丁字路で、石敢當が置かれているはずだけれど、距離があって薄暗く、見えない。
 一歩を踏みだすと小さく鈴のなる音が聞こえた。
 立ち止まって耳をすませてみる。二度は聞こえなかった。
 ――お急ぎではなかったの?
 唐突な女の声に辺りを見回すと、いつからそこにいたのか、目と鼻の先に女が一人立っていた。夕食の時間に間に合わせようというだけで、何か特別な急ぎの用件があるわけではない。
 女は半ばこちらに背を向けてうつむいている。顔は見えない。ほとんど白に見える、薄い紫を帯びた和装で、乱暴に結い上げた後ろ髪の下に、細く青白いうなじがのぞく。
 ――この先は奈落ですよ。
 女が言った途端、ぼんぼりが消えた。
 すっかり暗くなった路地の奥に向かって、満開の白木蓮が並んでいた。
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