SSブログ
-| 2022年01月 |2022年02月 ブログトップ

冬鳥 [雑文]

 田んぼが広がる平らな土地の真ん中を、小さな川が流れている。田んぼは、この川から水を引き入れている。周りは低い山に囲まれた丘陵で、今はその山肌に葉を落とした木々がばかりが輪郭を濃くしている。川にはいつもカルガモがいる。留鳥というそうだ。カルガモは田んぼに水が張られる頃、田んぼへも出張ってくる。植えられた小さな苗の間を、エサを探しながら泳ぐ。

 冬になり山にエサが少なくなると、鳥が山から里へ下りて来る。一番よく見るのはメジロだ。庭木の枝にミカンを刺したり、庭に作ったエサ台にミカン置いたりする家があって、鳥寄せをしている。たくさんのメジロがエサ台に集まった、目白押しの様子を見たこともある。

 葉を落とした枝の間を素早く動き回る小さな鳥はエナガだ。ピンポン玉ほどの小さな鳥は、小さい上に高い枝で群れていることが多く、単眼鏡でのぞいてそれと分かるくらいだ。木の幹を突きながら跳ねるように移動するコゲラは見つけやすい。見られるのは背中ばかりだけれど。モズやジョウビタキは木のてっぺんや、畑にたてられた杭の先でじっとしていることが多い。

 冬鳥が渡りをしてきたことに、最初に気がつくのはマガモを見る時だ。カルガモの中にいつの間にか、違う種類の鳥が混じっている。それからしばらくするとコガモやオナガガモが増える。そして野原でじっと、あらぬ方向を見上げてたたずむツグミを見ると、冬が来たのだなと思う。
nice!(1) 
共通テーマ:日記・雑感

夜話 [雑文]

 夜、一人部屋で読書などをしていると、家の前を歩く人の話し声がよく響いてくる。話している人たちは、普通の声音でしゃべっているつもりなのだろうけれど、この辺りのしんとした路地ではよく声が通る。声は聞こえても話す内容までは分からない。これだけ大きく声は届くのに意味のとれない会話を聞くことは、とても落ち着かない心持ちになる。そんな心持ちになる日が続くうち、家の前を歩くのは人ならぬものではないか、という妄想がふくらむ。

 ここ一週間、決まって夜の九時頃に家の前を歩く親子の声を聞く。親子というのはまったくの推測なのだけど、父親らしき男性の声と小学生の男の子を思わせる声だった。ゴム製のサッカーボールかバスケットボールか、たぶんそんなものをつきながら歩いている。アスファルトにボールの跳ねる音と、囁くような二人の話し声が聞こえてくる。ボールの跳ねる音と足音が次第に遠ざかり、やがてそれらは消え入るように聞こえなくなる。

 表に出て確かめてみようか、と思わないこともない。
 けれどきっと、あの二人連れに会えることはないのだろう、という予感はする。
nice!(2) 
共通テーマ:日記・雑感

狐火 [雑文]

 結婚を機に親がここに家を建てた頃、周りの平たい土地は畑ばかりだった。家の前の路地は砂利道で数年後に舗装工事がなされた。生活排水もままならない環境で、庭の隅に深い穴を掘って、そこへ水を流していたという。トイレは汲み取り式だった。かすかな記憶をたどってみると南へ向かう道の先は畑ばかりで、スイカ畑のあったことが今も強く印象に残っている。その畑も今ではことごとく似たような家が連なる建売住宅の宅地になってしまった。

 反対の北の丘陵へ足を運ぶと一面が水田だった。その辺りは今も水田のままだ。田んぼの土壌に家を建てるのはなかなかに難しいことらしい。だから耕作放棄された田畑が目立つことにもなる。家と畑の間にぽつぽつと残されていた雑木林もすっかりなくなってしまった。

 母がここに住み始めた頃は、家の窓から遠く見える雑木林の木々の間に、ぽつぽつと灯る狐火をよく見たそうだ。ふと光るものが見えた時、不思議に思ってしばらく眺めていると、ひとつふたつと数を増し、やがて列をなしてまたたき始める。まるで見られていることを意識しているような光り方だったという。台所の出窓を開けて夕餉の支度をしながら、よく見たそうだ。

 祖父も若い頃、勤め帰りに駅から家まで歩く間、狐にバカされて同じ道を何度も歩かされたことがあるという。そうしたことに縁のある血筋なのかもしれない。当時の大人の男にしてはめずらしく、祖父はたばこを喫まなかった。けれど通勤鞄にはハイライトとライターをいつも入れていた。バカされたことに気がついた時、道端に座り込んで一服つけて再び歩きだすと家の灯りが見えた。狐というのはたばこの煙が苦手だということだった。
nice!(2) 
共通テーマ:日記・雑感

蝋梅 [雑文]

 蝋梅が咲くにはまだ時期が早いと思っていたのだけど、もう咲きだしたりもしているらしい。そんな話を小耳にはさんだ。もう咲いているといっても寒暖による地域差もあるだろうし、世の中に数多ある蝋梅の個人差(個体差?)みたいなものもあるだろう。家から自転車で十分ほどの、地元では大きなお寺に、寒風が強く吹く中を、期待半分で自転車に乗って出かけてみる。入口の山門から続く参道に沿って、蝋梅が連なっていることを以前に見知っていたから。

 お寺へ続く細い道はたくさんの人が列をなしていて、歩いている人たちを避けながらゆっくり車がすれ違う。正月にはたくさんの参拝客が訪れるので元々ある駐車場の他に、周辺の空き地が臨時の駐車場になる。道沿いには数軒の出店もあって、たこ焼きやらじゃがバタやらが売られている。買い物をする人たちが店の前から細い道へはみ出すので、ますます車は通りにくい。自転車を押しながら進む。

 広い敷地のお寺は山門から入ってすぐのところに阿弥陀堂があり、そこに参拝する人たちが参道に列を作り、山門の外にまで並んでいて、正月の風景だ、と思う。行列を横目に見ながら蝋梅へと近づくと、ほとんど咲いていなくて残念な心持ちになる。ここへ来る道すがら、よその家の庭に満開の蝋梅を見ていたものだから、自分でも思わぬうちに期待が高まっていたみたいだ。少し前に友達から一眼レフのカメラを借りていて、それで蝋梅を撮ってみようという目論見があったのだ。

 たこ焼きを買って、家に帰って酒を飲むつまみにしようかと少し考えてやっぱりやめて、市内をうろうろしながら帰途につく。川沿いを走っている時にカワセミの飛び立つところを見る。
nice!(2) 
共通テーマ:日記・雑感

-|2022年01月 |2022年02月 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。